脱サラ・脱社畜は一つの通過点
私は、現在ごく普通のサラリーマンとして働いています。よく色んなサイトでは
“せどりで月収100万円超えました”とか
“会社辞めてフリーランスになったらブログ収入が30万円になりました・・・”
といったノウハウを見せびらかすようなサイトではなく、無論資本主義経済の労働者から一緒に脱していく脱サラブログです。つまりこのサイトとともにサラリーマンという枠組みから外れることができるようにしようということです。
なぜそのようなことを思いついたのか?当然まじめなサイトもありますが、胡散臭いサイトもたくさんあるのがノウハウ系サイトです。『3か月で月収50万円になった方法教えます』とか怪しすぎますよね。
最初に申し上げておきますが、こちらのサイトは一切そういった勧誘はございません。なぜならば、今現在売るほどの価値のあるノウハウは一切持ち備えていないからです。人を騙してお金を稼ぎ出すのは、私の望むべき姿ではありません。また現状私はただのサラリーマンです。月収100万円も超えてもいなければ、自由な時間もさほどありません。
なぜこのような記事を書こうと思ったのか。気づいたんですけどノウハウ系はすべて事後報告なんです。『私の時は○○だったから、○○がおススメ!』って、完全に他人事ですよね。
私は将来どうなるか分かりませんが、こちらを頻繁に更新していきます。脱社畜・脱サラとなっていくプロセスをリアルタイムに共有していきます。ただ私にとって脱サラはあくまでも通過点としての目標です。
脱サラ→自分自身の力(雇われずして)で生計を立てる→法人設立→?
の所まで考えてます。
『それだけしか考えていないのか』、『考えが浅い』その他色んな意見があると思います。
私自身も自覚しております。ただ私は現在ただのサラリーマンであり、これまでもごく平凡な人生を歩んでまいりました。ですので、今後運営していく中で考えて、考えて、考えて進むべき道を少しずつ決めていきたいと思います。
その中で様々な考えや行動パターンをノウハウ化し、それを多くの方にお伝えしていく予定です。末永くお付き合いくださいますようお願いします。
このサイトはすごい実績のある人が書くブログではなくて、これからすごくなる可能性がある人のブログということです。つまりベンチャー投資のようなもので、私が伸びると思った方はお金ではなく、このサイトをお読みいただくという時間を投下いただければよいわけです。私自身良質な記事を多く書き上げることで、皆様にご満足いただけるように努める限りです。
このブログを通じて私も、この記事を見た人も脱サラできるようなwin-winなブログ運営を心がけていくことをここにお誓い致します。
記事としては、転職・育児・お金にまつわる話等の内容を、分かりやすく書いていこうと思います。
脱サラを目指すヒナムチの人生概要
1988年生まれ。
田中将大と同世代です。
3人兄弟の末っ子として生まれました。
両親は小さな食品・お酒の小売業を営んでおりましたが、
時代の流れもあり私が15歳の時に廃業。
それ以降はサラリーマンとなった
両親に育てられました。
両親が自営業を営んでいた時の口癖は『金がない』ばかりで
小さいながら『自営業や起業はお金がなく、厳しい生活が強いられるもの』と
思っていました。
高校は地元の進学校に進学し、猛勉強の上中堅私大に進学しました。
猛勉強したにも関わらず中堅私大かよと思われるかもしれませんが、
元々相当頭が悪かったので、現役入学にしては良かったと思っています。
大学時代はバイトや彼女とデート、サークルなど特に目標を持たずに行ったので、
就職活動を周りに合わせる形で初めて、気づいたら地元の銀行に入社していました。
正直全くやりたいことが見つかりませんでしたし、当時の私は『安定』をひたすらに
求めていました。
就職活動
私の頃は大学3年生の秋から就職活動は始まりました。
就職活動時によく言われるのが、『就職活動の軸』とか『エントリーシート』です。当時の私は、働いているイメージを描くことができず、ひたすら企業のネームバリューのみの就職活動をしていました。
私が就職活動をしていた2009年~2010年は、2008年にアメリカを発端として、世界に大不景気をもたらしたリーマンショックが起きた直後で社会的に企業が採用を物凄く抑制している時期でした。
『エントリーシート』を出しても次の選考が通らない、最終面接で落とされる等現在の求人状況からすると、非常に大きな差がありました。ただ一つ言えることは、どんなに不況であっても優秀な人は内定9社、10社、しかもすべて大手企業ばかりと力の差を痛感させられたのを今でも鮮明に覚えています。
当時の私は、薄っぺらい大学生活にも関わらず、『どのようにエントリーシートを書いたらよいか』、『面接ではどのようなことを話したか』等今思えば相当くだらないことを質問していました。人間自分の実力以上には大きく見せれる訳はありません。不採用の結果は普通に考えれば妥当でした。
『就職浪人』という言葉が周りからちらほら聞こえ始め、自分自身に相当なプレッシャーを与え始めていました。「とにかく内定をもらわなければ」ただそれだけでした。
なりふり構わず、手当たり次第の企業の採用を受けました。
そうしてたまたま1社だけ、地元の地方銀行の内定を貰うことができたのです。
それが挫折への入り口とは知らずに…
銀行員時代の話
正直周りが内定を貰い始めると一気に、就職活動のやる気は下がっていきます。というのも内定を貰った人間は、アルバイトやサークル・遊ぶことにシフトするからです。それを横目に就職活動することは正直バカバカしいと当時は思っていました。
結局銀行にも、地元に戻ることも正直全く興味がなかったですが、内定を貰ったことが心の緩みを生み就職活動を終了してしまいました。今となってはもっと納得がいくまで就職活動をしておくべきっだと多少の後悔はありますが、スティーブン・ジョブスの言葉を借りるなら、「将来自分がやってきたこと(点と点)が(線で)つながる」という言葉を信じて今も前を向いて進んでいます。
銀行を退職してからがスタートライン
私の場合、銀行を退職してようやくスタートラインに立ちました。
銀行は下火な産業であることは間違いありませんが、安定や名声をすべて捨てたわけですので、ここからがスタートです。
今後待ち受けいている苦難や困難もすべて受け入れる心の準備はできていました。
転職しても銀行よりは給料も条件面もすべて下がることを受入ました。それらを受け入れなければ、銀行を退職したことも、転職したことも後悔してしまうこととなります。
私は転職するにあたり、『転職して、銀行時代の収入や条件面全て上回ることができる人間になる。』という目標を立てました。
現在は転職先の給料にまだまざ依存をしている状態ですが、今後は個人で稼いだ収入が給料を上回るところまでが当面の目標として、日々努力を惜しまないように過ごしております。
- 仮想通貨投資
- 副業(ブログ、Amazon出品)
- 株式、債券投資
- 家計の根本的見直し
現在上記を中心に収入に分散化を図り、生計を立てておりますので、
次回以降一つずつ記載していきます。